2022年07月13日
本当に学校へ行きたくない、あなたへ

本当に学校へ行きたくない、あなたへ
今、「学校を休みたい」って思っている?
そんなあなたに伝えたいのは、
「それって、悪いことじゃあないよ!」ってこと。
「あなたが甘えているんじゃないよ」ってこと。
もしかしたら、
周りの大人の人たち(ママやパパも含めて)からそう言われているかもしれないけど・・・。
「え? じゃあ学校休んでいいの?」
って思った?
そうなんだよ。
明日学校休んだって、あなたの人生が終わるわけじゃない。
いいんだよ。ちょっと休んでも。
それどころか、ちょっと立ち止まって休憩することは大切なこと!
「やった〜!って思った?」
うん、そうなんだ。
「心理カウンセラーの麗子さんがそういっていたよ!」
って、周りの大人に言ってもいいよ。
でもね、その後があるんだよ。
あなたにとって、とても大切なこと。
もしかしたら、今、
あなたはからだもこころも疲れ切っているかもしれないよね。
大切なこと①
休むって決心したら、自分を責めないでゆったりと休む
これってちょっと難しいって感じるかもしれない。
「今、みんなは学校でがんばっているのに、自分はダメだ」
とか、
「なんで私はもっとがんばれないんだ!甘えている!」
とか、
「どうせ俺なんか、何やってもダメなんだ」!
とか、
「このまま休んでいたら不登校になっちゃう・・・。私の人生、もう終わりだ!」
みたいに、
休んでいる自分を攻撃しないでほしいんだよ!
そのかわり、
「今は休んでいい」
「今までがんばってきた分、ちょっと休憩していい」
「休憩することは、いいこと」
「自分が辛いことにちゃんと気づいて、休みたいって言えたよね。それってとっても勇気のあることだよね」
って、自分に言ってほしい。
大切なこと②
誰かに気持ちを話す努力をする
ゆっくり寝たり、好きなゲームをやったり、スマホを見たりして、
気晴らしができて、体が休められたら、
さあ次のチャレンジ!
それは、
自分のこころの声を、「ダメ!」みたいなことを言わずにじっとやさしく聞いてくれる大人や友達を見つけること。
残念だけど、多くの場合、
その人はママやパパじゃあないかもしれない。
もしかしたら、あたなのパパやママは、
「これしろ、あれしろ」
って言ってくるタイプかもしれないから。
その人は、
学校の先生、塾の先生、
親戚のおじさん、おばさん、
または、お友達かもしれない。
「周りにそんな人、だーっれもいないよ!自分のことなんか誰も分かってくれないし、聞いてくれない!」って思ったら、
プロを探そう!
学校のスクールカウンセラーなんかいいかも・・・。
それでもダメでも、自分を責めないで!
もし学校のカウンセラーがだめでも、
お父さんお母さんに相談して、
(お金がかかっちゃうけど)プロのカウンセラーに話を聞いてもらう、
っていう手もある。
もしそれも無理だとしたら、
ペット・動物・音楽でもいい。
あなたのこころを癒してくれるものを見つけてみて。
そして、誰か話を聞いてくれる人を見つけられるまで、
なんとか命をつないでほしい。
大切なこと③
「本当のことを、言葉にして言っていいんだよ!」
誰か話を聞いてくれる人が見つかっても、
自分がなんでそんなに辛い、疲れているのか、
分からないかもしれないよね。
でも、大丈夫だよ。
本当に「聴く」ことができる人はね、
何があなたのこころに引っ掛かっていて、
何が辛いのか、
あなたが自分のこころを探っていくのを、上手に助けてくれるんだ。
だから、
「何がなんだか、さっぱり分からないけど、とにかく苦しい!」状態でも大丈夫ってこと。
そのうちに、自然に自分のこころが見えてくる。
そして覚えておいてほしい。
「こんなこと誰にも言っちゃいけない!・・・いや言えないよ!」
って思っていることを、
言っていいんだよ。
そこに、ヒントが隠れていることが多いから。
その大人がちゃんと「聴く」練習を積んだ人だったら、それも丸ごと受け入れてくれる。
そんな大人に聴いてもらうと、
話した後、
なんかちょっと
「スッキリ」したり、
「安心」したり、
「あっそうか!」
って気づくことがあったりする。
こうやって、自分のこころをケアしていってあげるんだよ。
もしかしたら今、
「世界でひとりぼっち!誰も助けてくれない!分かってくれない!」
って思っているかもしれないけど、
あきらめないで!
あなたは大切な存在で、愛されるべき存在です。
心理カウンセリング想月 山本麗子
不登校のお子さんがいらっしゃる保護者の方向けに、情報発信をしております。
不登校のためのNHA公式LINE

Posted by U-ko(ゆーこ) at
09:53
│先生のためのお役立ち情報
2021年09月01日
NHAを、学校で使うとどんな感じ?
NHAを学校で使うと、どんな感じになるでしょうか?
小学校中学年担任のY先生の事例をもとに、お伝えします。



A君は、担任ともクラスメイトとも、ほとんどコミュニケーションをとったことがありませんでした。
そんなA君と、 NHAを通して、小さなつながりを感じた瞬間がありました。
A君は文を書くことが苦手です。作文の授業の時のことです。
A君は、鉛筆を手に握ったまま、全く動きませんでした。
作文用紙を見ると、1文字も書いていません。
NHAを学んでいなかったら、きっと私はこんな風に考えて、彼に接していたでしょう。
「とにかく、書くための支援をしなきゃ!」
「A君が書けそうなテーマをいくつか提示して、選んでもらって…文の書き出しの部分を私が書いてあげて…。」
でも、今回、私の目には彼のある姿が目に止まったのです。
それは、〈A君が、鉛筆を手に握っていること〉
これって、作文の時間なのですから、当たり前のことですよね?
以前だったら、絶対に気に止めないところです。
でもこの時、NHAの視点を取り入れてみよう、と思うことができたのです。
彼にとっては、1文字を書き出すのがとても大変なことだったはず。
でも、鉛筆を握っているということは「作文を書く」ということを放棄せずに、自分なりに向き合おうとしているんだ。
それを言葉を変えて、彼に伝えました。
その後…、彼が作文を書きだしたかどうか…は、忘れてしまいました・笑
というのも、もっと嬉しいことがあったからです。
次の時間に、私はクラスのみんなに向かって、
「課題が終わった人は、ノートを配るお手伝いをしてくれると助かるよ。」と伝えました。
そして、私は自分の机で仕事をしていました。
課題を終えた子が何人か、ノートを取りに来てくれたのですが、なんと、その中にA君の姿があったのです!
私はもうびっくり!
A君が、これまで自分から進んでお手伝いをしたことなんてなかったからです。
「課題終わったから、ノート配ります。」なんてことは、彼は言いません。
ただ黙って、私の目の前に立っています。
私は彼に、「ノート配りのお手伝いをしにきてくれたの?」と聞きました。
彼は、私の目を見ながら、黙って頷きました。
この時、私は本当に嬉しかったです。
あくまでも私の推測ですが、作文の時間に伝えた、彼への言葉がけが、きっと彼の胸に届き、お手伝いを名乗り出てくれたのではないか…。
そう思いました。
慌しい学校生活の中でNHAを実践し続けることは、私には難しいことでした。
でも、ほんの少しでも、NHAの「目」を通して子ども達を見つめることで、子どもの自発性を引き出すことができる。
NHAの可能性を感じた瞬間でした。



この話は、一見、普通の話に見えるかもしれません。
何が違うのでしょうか?
Y先生のNHAの関りと、よく見られる関りとの違いをお伝えします。
A君は、作文の授業であるにも関わらず、1文字も書いていません。
ただ鉛筆を持って、座っているだけです。
よくありがちな関わり方は、
◇書くための支援をしよう!と思い、A君に質問しながら支援する。
◇A君からテーマや内容が引き出せなければ、「こんなテーマは?」「こんな書き出しは?」と教師が提案してA君がその中から選ぶ。
◇「がんばって書こうよ。」「授業中に書けなかったら、休み時間も書いてね。」などと叱咤激励する。
などでしょう。
もちろん、これらの関りも、子どもの成功をつくり出したり、理解を手伝ったり、学びを進めたりするのに役立ちます。
でも、その時の子どもの思いはどうでしょうか?
結果的に、こういった支援で作文を書けたとして、子ども達はどう思うのでしょうか?
◆どうせぼくは、先生が手伝ってくれなくちゃ作文は書けないんだなあ。
◆やっと終わった。終わってよかった。
◆作文、いやだな。やっぱり苦手だな。
こんな思いではないでしょうか?
先生の目の前には、〈A君が、鉛筆を手に握っていること〉という事実があります。
作文の時間なのだから、当たり前のこと、と「見る」こともできます。
反対に、A君が成功している、と「見る」こともできるのです。
Y先生は、当たり前に見える事実の中に、A君の素晴らしさを「見る」ことを選択しました。
その結果、
「作文が苦手なA君にとって、1文字を書き出すことは大変。
でも、鉛筆を握ることができている。
そこから分かるのは、A君が作文を書くことをあきらめず、書こうとしている、彼の粘り強さだ。
苦手なことに挑戦しようとする勇気だ。ちゃんと授業に参加しようとする責任感だ。」
というように、A君の素晴らしさを「見る」「伝える」ことができたのです。
この承認の後に、もちろん、書くための支援もしたと思います。
A君の心の中はどうでしょうか?
解説するまでもなく、その後の彼の行動に表れています。
具体的な根拠をもって、自分を認めてもらえた。そんな喜びが感じられます。
「作文を書いていない」という事実を、
教師は、「作文を書けない」「作文が書けるようになんとかしなくちゃいけない」という風に、不足している・できていない・問題である、と「見る」こともできます。
素晴らしいと見るか、
問題だとみるか、
その瞬間、その瞬間、私たちは選ぶことができます。
NHAは、その瞬間、「素晴らしさを見る」ことを選ぶ、子どもへの関りです。

☆10月23日(土)13時~15時 オンライン・NHA基礎講座
詳しくは、こちらから
☆不登校のためのNHAの詳細は、こちらから。
☆不登校のためのNHA公式LINE始めました!
30分無料相談開催情報、講座情報、ほっとするお話など、発信中です。
友だち追加は、こちらから↓

☆NHAのイベント情報などを発信中!
NHA Japanのfacebookは、こちらから。
☆NHAを使うとどうなるか、が分かるよ!
NHA JapanのInstagramは、こちらから。
小学校中学年担任のY先生の事例をもとに、お伝えします。



A君は、担任ともクラスメイトとも、ほとんどコミュニケーションをとったことがありませんでした。
そんなA君と、 NHAを通して、小さなつながりを感じた瞬間がありました。
A君は文を書くことが苦手です。作文の授業の時のことです。
A君は、鉛筆を手に握ったまま、全く動きませんでした。
作文用紙を見ると、1文字も書いていません。
NHAを学んでいなかったら、きっと私はこんな風に考えて、彼に接していたでしょう。
「とにかく、書くための支援をしなきゃ!」
「A君が書けそうなテーマをいくつか提示して、選んでもらって…文の書き出しの部分を私が書いてあげて…。」
でも、今回、私の目には彼のある姿が目に止まったのです。
それは、〈A君が、鉛筆を手に握っていること〉
これって、作文の時間なのですから、当たり前のことですよね?
以前だったら、絶対に気に止めないところです。
でもこの時、NHAの視点を取り入れてみよう、と思うことができたのです。
彼にとっては、1文字を書き出すのがとても大変なことだったはず。
でも、鉛筆を握っているということは「作文を書く」ということを放棄せずに、自分なりに向き合おうとしているんだ。
それを言葉を変えて、彼に伝えました。
その後…、彼が作文を書きだしたかどうか…は、忘れてしまいました・笑
というのも、もっと嬉しいことがあったからです。
次の時間に、私はクラスのみんなに向かって、
「課題が終わった人は、ノートを配るお手伝いをしてくれると助かるよ。」と伝えました。
そして、私は自分の机で仕事をしていました。
課題を終えた子が何人か、ノートを取りに来てくれたのですが、なんと、その中にA君の姿があったのです!
私はもうびっくり!
A君が、これまで自分から進んでお手伝いをしたことなんてなかったからです。
「課題終わったから、ノート配ります。」なんてことは、彼は言いません。
ただ黙って、私の目の前に立っています。
私は彼に、「ノート配りのお手伝いをしにきてくれたの?」と聞きました。
彼は、私の目を見ながら、黙って頷きました。
この時、私は本当に嬉しかったです。
あくまでも私の推測ですが、作文の時間に伝えた、彼への言葉がけが、きっと彼の胸に届き、お手伝いを名乗り出てくれたのではないか…。
そう思いました。
慌しい学校生活の中でNHAを実践し続けることは、私には難しいことでした。
でも、ほんの少しでも、NHAの「目」を通して子ども達を見つめることで、子どもの自発性を引き出すことができる。
NHAの可能性を感じた瞬間でした。



この話は、一見、普通の話に見えるかもしれません。
何が違うのでしょうか?
Y先生のNHAの関りと、よく見られる関りとの違いをお伝えします。
A君は、作文の授業であるにも関わらず、1文字も書いていません。
ただ鉛筆を持って、座っているだけです。
よくありがちな関わり方は、
◇書くための支援をしよう!と思い、A君に質問しながら支援する。
◇A君からテーマや内容が引き出せなければ、「こんなテーマは?」「こんな書き出しは?」と教師が提案してA君がその中から選ぶ。
◇「がんばって書こうよ。」「授業中に書けなかったら、休み時間も書いてね。」などと叱咤激励する。
などでしょう。
もちろん、これらの関りも、子どもの成功をつくり出したり、理解を手伝ったり、学びを進めたりするのに役立ちます。
でも、その時の子どもの思いはどうでしょうか?
結果的に、こういった支援で作文を書けたとして、子ども達はどう思うのでしょうか?
◆どうせぼくは、先生が手伝ってくれなくちゃ作文は書けないんだなあ。
◆やっと終わった。終わってよかった。
◆作文、いやだな。やっぱり苦手だな。
こんな思いではないでしょうか?
先生の目の前には、〈A君が、鉛筆を手に握っていること〉という事実があります。
作文の時間なのだから、当たり前のこと、と「見る」こともできます。
反対に、A君が成功している、と「見る」こともできるのです。
Y先生は、当たり前に見える事実の中に、A君の素晴らしさを「見る」ことを選択しました。
その結果、
「作文が苦手なA君にとって、1文字を書き出すことは大変。
でも、鉛筆を握ることができている。
そこから分かるのは、A君が作文を書くことをあきらめず、書こうとしている、彼の粘り強さだ。
苦手なことに挑戦しようとする勇気だ。ちゃんと授業に参加しようとする責任感だ。」
というように、A君の素晴らしさを「見る」「伝える」ことができたのです。
この承認の後に、もちろん、書くための支援もしたと思います。
A君の心の中はどうでしょうか?
解説するまでもなく、その後の彼の行動に表れています。
具体的な根拠をもって、自分を認めてもらえた。そんな喜びが感じられます。
「作文を書いていない」という事実を、
教師は、「作文を書けない」「作文が書けるようになんとかしなくちゃいけない」という風に、不足している・できていない・問題である、と「見る」こともできます。
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Posted by U-ko(ゆーこ) at
17:13
│先生のためのお役立ち情報
2020年02月26日
当たり前の中に素晴らしさを見る先生
前回の続き。
教育関係者向けフォローアップのシェアです。
Bさんがシェアしてくださったのは、体育の授業でのこと。
三角コーンの置き場所をどこにしたらいいか悩んでいた子に、
「どこに置いたら一番いいか、考えているんだね。」
と声をかけた、という話でした。
この場面、通常の意識の向け方では、気にも留めない瞬間かもしれません。
特に、たくさんの子どもが同時に動く学校では、見ようと思わなければ見えない姿。
見えたとしても、
「そこでいいから、早く置いて集合して。」
と言われるかな。
「そのくらい、自分で考えて。」
と言われるかな。
つまりは、意識されたとしても、
行動が遅い
自分で考えて判断する力が低い
のように、ネガティブに注目した意識のされ方だと思います。

でも、Bさんは、同じ子どもの姿を、
ポジティブな面に意識を注いで反応しています。
・三角コーンを置く位置は、適当に決めずに、ちゃんと考える必要があると分かっている。
・置く位置に迷っても、このくらいでいいかな、と適当に置くこともできるけれど、立ち止まって考えることができている。
Bさんには、そういう姿に見えているのです。
繰り返しになりますが、
Bさんが声をかけた子どもの行動は、
ありふれた
注目されにくい
行動です。
その当たり前の中に素晴らしさを見いだせるBさん。
それがBさんの素晴らしさだと感じました。
当たり前だと思っていると、素晴らしさって見えてきません。
それくらい、できて当たり前。
して当然。
もう〇才なんだから、できて当たり前。
という価値観をもっていたら、その子のもっているたくさんの力は見えてきません。
Bさんは、自然な流れの中で、ハードルを下げた状態で、子ども達の素晴らしさを見ていらっしゃるのですね。

【NHAの基本理念と3つの宣言を学ぶ!】
NHA講演会 3月8日(日)9:30~11:30 富士宮市
⇒https://resast.jp/events/392483
【NHAのテクニックを学び、実践練習をする!】
NHAワークショップ 3月7日(土)9:30~16:30 静岡市
⇒https://resast.jp/events/404084
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講演会 3月21日(土)13:30~15:30 静岡市
⇒https://resast.jp/events/403129
ワークショップ 3月22日(日)9:30~16:30静岡市
⇒https://resast.jp/events/403139
教育関係者向けフォローアップのシェアです。
Bさんがシェアしてくださったのは、体育の授業でのこと。
三角コーンの置き場所をどこにしたらいいか悩んでいた子に、
「どこに置いたら一番いいか、考えているんだね。」
と声をかけた、という話でした。
この場面、通常の意識の向け方では、気にも留めない瞬間かもしれません。
特に、たくさんの子どもが同時に動く学校では、見ようと思わなければ見えない姿。
見えたとしても、
「そこでいいから、早く置いて集合して。」
と言われるかな。
「そのくらい、自分で考えて。」
と言われるかな。
つまりは、意識されたとしても、
行動が遅い
自分で考えて判断する力が低い
のように、ネガティブに注目した意識のされ方だと思います。
でも、Bさんは、同じ子どもの姿を、
ポジティブな面に意識を注いで反応しています。
・三角コーンを置く位置は、適当に決めずに、ちゃんと考える必要があると分かっている。
・置く位置に迷っても、このくらいでいいかな、と適当に置くこともできるけれど、立ち止まって考えることができている。
Bさんには、そういう姿に見えているのです。
繰り返しになりますが、
Bさんが声をかけた子どもの行動は、
ありふれた
注目されにくい
行動です。
その当たり前の中に素晴らしさを見いだせるBさん。
それがBさんの素晴らしさだと感じました。
当たり前だと思っていると、素晴らしさって見えてきません。
それくらい、できて当たり前。
して当然。
もう〇才なんだから、できて当たり前。
という価値観をもっていたら、その子のもっているたくさんの力は見えてきません。
Bさんは、自然な流れの中で、ハードルを下げた状態で、子ども達の素晴らしさを見ていらっしゃるのですね。
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